江戸の昔より、日暮しの里・呉竹の根岸の里といえば、音無川の清流にそうた塵外の小天地として知られました。
花に鶯、流れに河鹿、眼には遥かな荒川の風光にも恵まれて、人々は競ってこの智に別荘を設けました。
くだって明治大正の頃まで、粋で風雅な住宅地として憧れの土地柄でありました。
文政二年、小店の初代庄五郎が、音無川のほとりに「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を供しました。
この団子が、きめ細かく羽二重のようだと賞され、それがそのまま菓名となって、いつしか商号も「羽二重団子」となりました。
こうして創業以来七代二百年、今も江戸の風味と面影をうけ継いでいるのでございます。
団子というものは、そもそもは中国渡来の野趣ある菓子でありましたが、江戸時代に入って普及したものです。
ことに元禄年間には名物団子が随所に現れ、流行になりました。
けれども今日では、昔からの名ある団子が都内ではほとんど見られなくなりましたことは、いささか心さびしいことです。
羽二重団子は、その光沢と粘りとシコシコした歯ざわりが身上です。
よく吟味した米の粉を搗抜いて、丸めて扁たく串にさします。
昔ながらの生醤油の焼き団子と、渋抜き漉し餡団子の二種類を商っております。
材料の吟味に製法に、家伝に即した苦心を怠らず、いまの東京に類をみない古風な団子をご賞味いただけるのも、
代々のご愛顧のたまもの、商売冥利と存じております。